ラオス日記  2004年8月の巻(いつまで続くかわかりませんけど・・・)

色の変わっている日にちが読めます。

10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21
22
23 24

2004年8月

8月3日から再びラオスに来ています。

今年は、ラオス−日本−東ティモール−日本−アフガニスタン−日本−ラオス−日本−ラオス・・・ということで、3度目のラオス。決してラオスが第2の故郷とかそんなほどでもないし、住み着こうとは思っているわけでもない。でも、どこか、こうして行ったり来たりしていることで、私自身は自分のバランスをとっているんじゃないかっていう気がする。そんなことを感じるのは、洗濯機がないから「手で洗濯しているとき」とか、掃除機もないし「床を掃いているとき」とか・・なのだ。日本にいてもうちは、この夏にエアコンもつけないくらいで、全然ハイテクの生活なんかしていないし、時間に追われて眠れないほど忙しいわけでもないが、きっと、私は普通の人より、より古代風にできているんじゃないかと思ったり・・・テレビがなくてニュースがなくて、よけいなニュースが入ってこない、こういう生活が結構好きなのかもしれない。日本に帰っても、欠け落ちた情報が累積しまくっているから、もう今更世の中の流れについていけない。もう、あきらめたからいいんだけど・・・・

 もうかなり前のことだけど、タイにいる間だったと思うが、貴ノ花と宮沢りえが婚約した。大騒ぎしているうちに婚約解消になった・・・という。その間のニュースは私は何も知らず、帰ったら、もう二人は別れていた。結局、何もなかったと同じなわけで(本当はそんなことないけど)、その時、「なぁんだ、いちいち話題についていかなくたっていいや。少し時間がたってしまえば、騒がれなくなるんだし・・」と思った。日本にいると、テレビで流れるあれこれのニュースにいちいち頭のかなりの部分を取られてしまう・・けれど、ラオスでは、実際会うあれこれの人・・に頭と心をさくことで、十分忙しい。この夏、オリンピックをまるで見られないのは少しつまらないかもしれないけど・・・

 などなど・・・・・いずれにしても、私は、もうどっちつかずの・・・どこの社会に属しているのか、いないのか・・・でも、そんな状態にも慣れてしまったような気がする。

 こんなに、好きこのんでタイ、そしてラオスに来ているけれど、実は、私はかなり寂しかった。「どうして私はこんなに寂しいんだろう」と思って、夜、一人で飲んだくれて寝てしまうこと・・・もしばしばあった。今は、そのあたりが少し変わった気がする。今までだって友達はいたし、恋人がいないのは今も同じだし・・・、相変わらずなのだが、どういうわけか、今は寂しさが前よりは少ない。私が年とって慣れてしまったせいなのか?人生あきらめがついたのか?そのあたり、わからないんだけど。今、結構、面白い。ただ、今、自発的にも他発的にも、同時多発テロ的に、あれこれ同時にいろんな事が始まっているので、うわぁ、どうやってこなせばいいんだ・・と思いつつ、それで寂しさが薄れているのかもしれない・・・が・・・。いったい何をやろうとしているのかは、おいおい書いていきたいと思いますが・・・。

 海外に出る時は、だいたいお気に入りの歌を持ってくる。最近はMDに録音してきている。元々は、モンの民話録音用にMDを持ち歩いているのだが、最近は、自分で聞くために使っている。私はだいたい歌には疎いし、あまり知らないから、その旅のたびに、たまたま持っている曲をうんざりするほど、でも飽きずにずっと聞いている。つい最近までは、矢野顕子だったり、BOOMの島唄だったりしたのだけど。今回は平井賢なのだ。おじいさんの古時計のイメージかと思っていたら、この人の曲は意外とスケベなのものが多い・・あらまぁ・・・と思うような歌詞だったりするんだけど、聞き続けていると、なんだか結構好きかも。まぁ、結局、人間実はそんなもんなんでしょう・・という気がしたりして。旅先で眠れない時とか、どうも悪夢を見そうな気がするときとか、宿の壁の向こうから聴きたくない音が聞こえてくる時とか、イヤホンで外の音をシャットアウトしてしまう。どこかで、自分の慣れた音を聞いて、安心して寝たりする。やっぱり、そんな不安のない家の布団は一番。そういいながらも、やっぱりまた旅の空にいる。

 

8月9日 カオサーイとラオニタン

 朝っぱら7時前から、ビエンチャンで借りている家の、お隣の大家の息子、カオサーイが「ウアイきよこ(きよこおねえさん)、ラオニタン(お話して)」とやってくる。カオサーイは昨日6歳になったばかりで、昨夜、「ケーキだ、ケーキだ、きよこも一緒に食べるんだよ」と飛び跳ねて喜んでいた。私のことが大好きなのだ、この子は・・・・。カオサーイは、ものすごくやんちゃで、自分の思うとおりにならないと騒ぎ立ててモノを投げたりする、手がつけられないほどの聞き分けのない子だった。いかにも憎たらしい顔をしている坊主だと思っていたが、私が絵本を話してやったことがきっかけで、なついてしまった。(しまった!と思ったが遅し。)

1週間ほど前、ビエンチャンに着き、空港から家に着いて鍵をあけた途端に、「ウアイきよこ、ラオニタン」とやってきた。それから毎日やってくる。お話をして・・・というのを邪険には断れないが、こう朝っぱらから、まだ朝食も食べてないし、朝、一仕事と思って、パソコンを打っているときなのだから、これはたまらん。

「これ、ぼくの宝箱だよ」と、箱を持ってきて、中に入っている小さな人形なんかを机の上に並べている。私が知らないふりしてパソコンを打っていると、耳元にきて「ギャア〜」と叫んで「ラオニタン(お話して)」ときた。さすがに頭にきて「こら、カオサイ、まだ朝早いんだから。まだ朝ご飯も食べてないんだから、朝ご飯食べてからにしてよ。さっ、お帰り」と、追い出した。しばらくすると、「朝ご飯食べたよ、ラオニタン(お話して)」とやってくる。仕方ない。「朝は一つだけだよ。どれ?」と聞くと、「さるとわに」を本棚から取り出した。サルをだまして食べようとするワニに、サルが「木の上に心臓忘れてきちゃったから、心臓を取りに帰ってから、食べさせてあげるよ」とだますという話。話を始める前は、「チンコ」とかそんなことばっかり言って、ふざけ回っているのだが、話をはじめると真剣に聞いている。話し終わると、「もう一回」と、もう一度同じ話をはじめから聞きたがる。「じゃあ、もう一回だけだよ」と言って、もう一度話してやると、満足したように、「じゃあ、お昼にね」と帰って行った。

 昼12時前、用事から帰ってくると、カオサイが「昼だよ。ラオニタン」と、宝箱を抱えてやってくる。「まだ昼じゃないよ」「もう昼だよ」と・・・。今度は「さんびきのやぎのガラガラドン」。話し終わると「もう一回」。「あっ、それからさんびきのくまも」と、絵本を本棚から取ってくると机の上に置く。まったく、こちらも家にいると言ったって、仕事はうんとあるのに、まいるけれども、職業柄?(ストーリーテラーというわけじゃないが、子どもに話をするのは、私の天職?というか、しなければ気の済まないこと・・・の一つらしい)話してあげないと気がとがめてしまうのである・・・・というわけで、繰り返し3回話してやった。3回目などは、彼は生意気そうにソファーに寝そべって、それでも真剣な顔をして聞いている。「はい、おしまい」と言うと、カオサイは、「水ちょうだい」という。この前、お菓子をくれ・・・と聞き分けがないので、「うちにはお菓子はないよ。水しかないよ。水ならあげる」と水を出してやったので、だからだろうが、それでもきっと何か接待してもらっているような気分が嬉しいのだろう。冷たい水をコップに入れて、「こぼさないでね」と渡すと、宝箱をいったん机におき、しっかりとコップを持って水を飲んだ。水を飲むと、満足したように、「じゃあね。今日は寝れたし、よかったな」などと言って宝箱を抱えると、隣へ帰って行った。

 さて、今さっき、「ウアイきよこ、夕方になったよ。ラオニタン」とまたやって来た。さんびきのくまとさんびきのやぎ・・・をまた聞くという。くまを1回にやぎを2回読む。読み終わった途端に、もう1回。「今、読んだじゃない」と言うと、「まだ1回しか読んでないじゃないか」と口をとがらせた。私はカオサイの召使いじゃないんだぞ・・・とか思いながら、でも一回一回、真剣に聞く顔には、やっぱり負けてしまうのだ。


はじめのページに戻る


8月10日(火)   サンダルと犬

 大家の犬が、玄関先に脱ぎっぱなしにしていたサンダルの片方をどこかに持っていってしまったらしい。黒くてかわいい犬だが、私が家に入ろうと思うと吠えたりする。

「おい、誰に向かって吠えてんのよ。おいおい、犬。あんた、私のサンダルどこに持っていったのよ」と、こっちも犬に向かって言うと、ワンワンと吠えながら後ずさりなんかしている。名前はボビーだそうだ。ボビーのおかげで、新しいサンダルを買うことになった。

 さて、玄関前には片方だけのサンダルが残っている。もう買ってしまったけど、片方残っているというのも、どうもおもしろくない。昼間、やってきたカオサイに

「カオサイ、この靴、犬が片方くわえて行っちゃったんだけど、見なかった?」と聞くと、「見たような気がするな」と言う。「どこで?」「あの大きな家の床のとこ」と。大家は今家を新築している途中で、それはやけにばかでかいのだが、そこに、ボビーはくわえて行ったのだろう。「カオサイ、見てきてくれない?」と言うと、「ドーイ」と行って走って見に行ってくれた。ドーイとは、「はい」の意だが、ラオスの人が目上の人に対して使う、とても丁寧な言葉である。この子は、めちゃくちゃ悪い言葉とか言うくせに、返事だけは、親からしつけられているらしく、「ドーイ」と言う。そのアンバランスさがおかしいのだが、カオサイはやんちゃなくせして、ちゃんとしつけられている家の子なのだ。

 さて、カオサイは大きな家から、サンダルの片方を持ってきてくれた。犬に食いちぎられてもいなくて、サンダルも健在だった。

「わぁ、コープチャイライラーイ(どうもありがとう)、カオサイ」

「ドーイ」

「コイ ディーチャイライラーイ(私、本当に嬉しいよ)、カオサイ」

「ドーイ」

 カオサイは、いつもなら、「ラオニタン(お話してくれ)」とすぐ家に入ってくるのに、この時ばかりは、あまりお礼を言われて、少し照れたらしく、家へ走って戻って行った。この一部始終を聞いていたカオサイの母、ウアイ・ホンペーオが、「ウーヒッヒッヒ・・・ウーハッハ・・・」と、何がそこまでおかしいのやら、やたら豪快に笑っていた。

 待ちに待っていた、日本からのEMSは届かない。普通の航空便でも5日で届くことがあったのに、EMSが届かない。毎日、郵便局まで見に行って、毎日、届いていなかった。結局、原稿の初稿の校正に間に合わず、編集の藤間さんにお任せすることになってしまった。何が、Emergency mail serviceだ、クソ!と思ってから、あぁ、emergency(緊急)じゃないか、Express mail serviceだっけ・・・と思ったが、私は明日からサムヌアに行くし、日本でももう締め切りが迫っているので、仕方ない。まぁ、うまくいかないこともあるんだから、仕方ないけど、やっぱりラオスへの「速達」は速くはない。



モンの犬

 朝、家の戸口に、4歳の女の子マイケンと犬が並んで立っていた。犬とマイケンの大きさはほとんど変わらないように見えた。きっと犬が立ち上がったら、マイケンよりも大きい。マイケンのことを乗せて歩けそうな大きさだ。犬はきっと、マイケンのことを守るべき存在として見守っているような気がした。マイケンの方は、「犬」としか見ていないけど。

 昨日の晩は、まだよちよち歩きの下から二番目の赤ん坊がハイハイして犬を追っかけていた。すると下から3番目の3歳のアイギーも一緒になって、ハイハイしてきゃあきゃあと犬を追っかけていた。犬は、「困りましたね、おぼっちゃま方、はいはい、逃げてあげますよ」という顔をして、たったった・・・とあっちへこっちへ素直に逃げている。犬にとっては、その家の子どもたちは小さい時から見守ってあげるべき存在なんだろう。

 モンの犬のこの従順さと、けなげさと、切なさ、このやるせなさ・・は、きっと犬たちが自分のことを、「人間だ」と思っているからだ。日本と違うのが、人間側からとって、犬はペットではなくて、「ただの犬」なのだ。

 犬たちは、人間と一緒にいろり端に座り込んでいる。目をつぶってさも気持ちよさそうにしている。今も、この家の犬、ドゥーとキットが、「私の居場所です」という顔をして火に当たっている。人間様が多くなってくると、「アオ(モン語で犬)」と犬は追い出される。犬の分際で人間様の場所をぶんどることは許されない。でも、今日は、ワンチューは犬をわざわざ起こさないように、身体をよけていろりの上から物を取っていた。

 犬たちは、「我が家」という顔をして、目をつぶって火に当たっていたが、ワンチューが羽根をむいた鶏を持ってくると、薄目を開けて顔をあげた。二人(いや2匹)とも、「興奮なんかしていませーん」という顔をして、表情に表しすぎないようにしていたが、もう今日のごちそうを「期待!しめしめ」と思って、目を閉じたようであった。

 そこまではいいが、実際の食事が始まると、うろうろする犬は追い出されて、そして、またチャンスを見つけて入ってきては、人間が食って放った骨をすばやく食べる。その頃になると、2匹が奪い合って歯をむいたりして、「アオ!」と人間に怒鳴られ追い出されたりして、一気に威厳がなくなってしまうのだ。そして最後、食事が終わった後は、床掃除機である。きれいに床に落ちている食べ物を掃除する係。

 掃除するのは食べ物だけではない。アイギーが戸口でしゃがみ込み、玄関口のところだが、チョックワ(うんち)をした。そして、「ショーコアオー、ショーコアオー(お尻ふいてー、お尻ふいてー)」と叫んでいる。お父さんが出ていって、アイギーを抱えると、水でお尻を洗ったが、落とし物の方は、「トゥットゥットゥ」と舌をならした。すると、犬がトットットとかけてきて、そのチョックワをきれいに食べた。犬は、こうして赤ちゃんの頃から赤ちゃんのウンチのお世話をしているのだ。だから、きっと、犬は「わたしは子どもたちの乳母」ぐらいの気持ちがあるのかもしれない・・・犬は犬で、家族の一員のつもりなのだろう。家族を守らなくてはいけないと思っているんだろう。他人には歯をむくけれど、家族が、子どもたちがいくらいたずらしても怒らない。

 モンの犬のこの従順さとけなげさ。そして切なさ、やるせなさは犬がきっと、自分は家族の一員だ。人間だと思っているからだ。犬は犬で、その家が自分の居場所で、家あっての犬なのだ。ただ犬が我が家だと思っているツモリと、人間のつもりが違う。人間は犬としてしか見ていないから、犬が分際が過ぎた行動をすると、アオと怒鳴って、蹴飛ばしたり棒でなぐって、追い出したりもする。犬としては、「割に合わない」と思いつつも、家の一番下っ端の人間のつもりでいるのだろう。犬は顔に似合わず、人間の家族の一員のつもりなのだ。だから情けない顔をしつつも家出なんかしない。

8月14日(土)  山を下りる

 今、この居心地のよくない、サムヌアのラオフンホテルにいる。何年も前から何度も泊まっている常連の客だというのに、相変わらず無愛想で、誰も働こうという意志のないホテル。最初に建てられた頃は、サムヌアにしては、さぞかし立派なホテルだったろうが、年々、オンボロになっていく。バスルームのタイルが苔むしている。黴びている壁。どうして、ここに泊まらなくちゃいけないのかわからないが、どうも他にもないので、泊まっている。仕方ない。

 今日、フアイソン村から降りてきた。夜明け前、雨が降り出した。やむかと思ったら、やみそうにもない。みんな、「雨だから、雨が上がってから、明日、山を下りたらいいよ」というけれど、そうするわけにもいかない。雨では、バイクは滑って怖いけれど、歩いて下れば怖くない。私は村長に、「誰か一人、荷物を持つ人を頼んでくれないかな?そうしたら、わたしは歩いて下りられるから」と言うと、村長のワンチューは、「うん、わかった。誰か探すよ」と言ってくれたが、結局は、村長の娘の、ショオとコォ、そして、村長の弟の娘のダイが、私の荷物持ちになる。ショオがせいぜい10歳、コォとダイは8歳くらいか?このおちびちゃんたちが、私の強力(ごーりき)!として下まで下りてくれるという。まったく笑ってしまう。でも実は、その方が楽しい。そこで、荷物を3等分して、結局、強力を雇う側のはずの私が、一番重いザックを背負い、軽い荷物を、ショオとダイが背負う。コォは、荷物なし。自分たちのご飯を袋に入れている。

 ショオにオレンジ色の合羽を、ダイに、私の赤いチェックの雨具を着せて、私は、えんじ色の雨合羽を着て、(こんなに雨具を持ってきててどうする?と思ったけど、たまに役に立つもんだ)鮮やかなてるてる坊主みたいな集団、私が一番背が高いという、おチビ部隊が、雨が降る中を出発した。

 みんなくすくす笑いながら、歩き出す。村の人々がみんな、遠くなるまで送ってくれた。村が見えなくなると、女の子たちは、なんだかいつも家の中で見る姿とは違う。

 モンの子どもたち、特に女の子たちは、家の中ではしっかり役目を持っている。今日も朝、いつのまにか、コォもショオも、ラウマン(麻の皮をはぎとる作業)をやっていた。大人の女の仕事かと思っていたら、子どもたちももう出来るのである。感心していたら、なんと、まだ4歳くらいのマイケンまでが、ラウマンをやっている。まいった。みんな大人の作業を見て覚えるのだろう。「あれ、違った。まだ、私もうまくできないんだもの」なんて言いながらも、誰に言われるわけでもないのに、手が空くと、仕事をしているのであった。

 昨日の夕方は、私は最後だと思って、暗くなってくる中、子どもたちに絵本を話してやっていた。コォが一生懸命聞いているのを、母親が呼びに来た。「あんた早く来て、仕事しなさい。まったくぅ」と、何度も呼びに来るのを、コォは頑固に行こうとしなかったが、とうとう母親に引っ張り出されてしまい、いやいや、何の仕事か知らないけれど、連れて行かれた。かなり抵抗していたが・・・私は、絵本を見るなんて、この時しかないんだから、見せてやればいいのに・・・と思う気持ちと、私は母親に「まったく、子どもの仕事の邪魔だわ」とか思われているのかなぁ・・・とか思いつつ、絵本を子どもたちに語り続けていた。

 ショオは学校へ行っていない。1年生にも行かせてもらえなかった。次々と生まれる弟や妹の子守をしなくてはいけなかったからだ。おじいさんが「この子はな、ua qhev zov me nyuam(子守のための家来)だから、学校には行かなかったのさ」と言った。その言葉を聞いた時、なんだかかわいそうになった。ショオはこの半年で背が伸びて、すっかりお姉さんぽくなったが、細い背中に赤ちゃんを背負い続けていたのだ。今は少し大きくなった、赤ちゃんをあやしているその背中を見ていると、すっかり板についていて、まるでお母さんの背中みたいに見えた。

 なんだけど、その女の子たちが、やっぱり家を離れて、子どもたちだけの世界になると、急に子どもっぽくて、おおはしゃぎしている。荷物(軽いけど)は背負っていて、一応、私を送り届けるという役目を負ってはいるものの、きっと何だか遠足みたいな気分なのかもしれないな。こんな姿を見ると、子どもが子どもでいる時がもっと長くてもいいのかもしれないのに・・・と思ってしまう。もちろん、村で見る姿も、彼女たちの本当の姿だし、そうして、こうしてはしゃぎまくって遊び半分に山道を歩いている彼女たちも、本当の姿だ。

 コォは「私、ブラーハー(ヒル)なんか怖くないよ」という。「ブラーハーは、私は怖いなぁ。ブラーハーがついたら、私は助けてくれぇっていうからね」と、私が言うと、コォは少し自慢げに胸を張った。「私、ブラーハー(ヒル)なんか、ぜーんぜん怖くないもん」でも、その後続けて、「でも、ブロー(ラオス人)は怖いの」と、声を少し潜めて言った。ショオも「パヌンを送って、下のブロー(ラオス人)が住むところまで下りていって、帰りは私たちだけで、どうやって帰ったらいいっていうの?それ考えると、今から心配になっちゃうよ」と言う。「ブロー(ラオス人)って言っても、怖くなんかないよぉ。大丈夫だよ。ただ村通るだけなんだから、なんてことないじゃない」と、私は言うけれど、ショオは本当に心配らしい。「だって、ラオス語話せないもん」と。彼女は学校にも行っていないから、ほとんどラオス語ができないのだ。妹のコォは、お姉ちゃんのショオが子守係になったおかげで、小学校1年生には入っている。そこでコォに「あんたはラオス語が話せるでしょ?」と言うと、「あぁん、メ・メ ス(少しだけだもん)」と言った。考えてみたら、あの山の学校の1年生だったら、あんまり話せるようになることは期待できないな・・・と思った。いつのまにか、私たちの後ろにラオス人の若い男が歩いていた。ひょろひょろとした色白で、全然怖そうにない人だったが、3人は急に声を潜めてしまった。山の村に住む人たちが、下の世界に下りてくるというのは、つながっていない別世界、自分たちの世界でないところに入って行くことなのだな・・・・特に、言葉のできない人たちにとっては・・・と感じた。私たちがふもとのラオスの村に入ると、確かに、ラオスの人々は、へんてこな目で見る。それは、オンボロの服を着て何人やらわからないモン語を話す私をへんてこな目で見ていたのかもしれないが・・・・

 ショオが私に、「結婚したくないの?」と聞く。「あら、したいわよ」と言うと、「ザウだったら、結婚するか?」と言う。ザウは私のモンの仕事で、いつもつるんで動いているモンのおっさんである。私は「しないよ! ザウは奥さんも子どももいるんだよ。イヤだよ」と言う。フゥーン、という顔をしているので、
「あんただったら?結婚したい?」と聞くと、「ううん」と言うので、「どうして?」と聞くと、「奥さんいるもん」と言うので、「ねぇ、ほら、そうでしょう」・・と、こんな話を10歳の子としている。
 ショオは「パヌンは、子どもを産みたくないの?」と言う。「うーん、1人2人ならいてもいいかもなぁ・・・(本当は、もう可能性としてはとても低いと思っているけれど)」と言うと、「たくさんは産みたくないの?」と聞く。「産みたくない」と答えつつ、この家は、10人の子沢山である。それを否定的に言うのも悪いなぁ・・・と思い、「私には面倒を見てくれる人がいないからね・・・」と言った。実際、10人の子持ちのお母さん。ショオはもちろんだが、自分の実家の母が、今下から2番目の2歳にならない息子を、しょっちゅう連れていって面倒を見ているし、マイケンは、隣の爺ちゃん婆ちゃんと一緒に寝ている。いくらモンの人とはいえ、家族の助けなしに、たくさんの子どもを育てるのは本当に大変だろうと思ったわけだ・・・・さて、私はショオに「あんたは?たくさん子ども産みたい?」と聞くと、「チョン ロー ガーチャウ(たくさんでもかまわないわ)」と答えた。私は彼女が、もう子どもにうんざりしているのか?と思ったのだが、こんなに子守の家来みたいに小さい頃からやってきて、そして、自分が大きくなって母になって、子沢山でもいいわ・・・と。へぇ、えらいもんだなぁ・・・それが当たり前の世界なのだろうなぁ・・・と思った。でも、一緒に歩いていたダイは「私は、たくさんはイヤだわ」と言う。彼女の母は6人の子持ちだが、もう疲れ切った顔をして、子どもの前で「私は子どもなんか産みたくないのよ。産まないためにはどうしたりいの?」と言った。きっとそんなことが影響するのかもしれないなぁ・・・とか思いながら、10歳の女の子たちと、こんな話してるんだからなぁ。そして彼女たちの方が、子守、赤ちゃんの世話は経験を積んでいる人なのである。

 車道まで下りてくる。ムアンハムのラオの人々は、物珍しげに見ている。私と子どもたちは、道ばたにザックをおろすと、私はミリンダとセブンアップを買い、安い駄菓子の怪しげなのを買い、みんなで道ばたに座り込んだ。ショオが「パヌン、これどうやって開けるの?」と缶ジュースを指す。缶ジュースなど自分であけて飲んだことがないらしい。「こうやって引っ張るだけだよ」とやって見せ、ミリンダを1缶だけあけてみんなで回しのみした。「ジンジー(ピリピリする)」と。炭酸にも慣れていないんだ。「あんまりたくさん飲むとお腹痛くするからね」と言うが、みんな少しずつ飲んで、それで「もういい」と。水を買ってくると、そっちは一気になくなった。「このお菓子おいしいの?」と聞くと、それは安い怪しげな麩菓子なのだが・・・・「qab tshaj (とってもおいしいよ)」と言うので、たくさん買ってきて、おみやげに渡した。一人、5000キップずつ渡したが、3人ともそそくさと鞄のポケットにしまい込んだ。もう12時過ぎだ。「帰り、お腹空いちゃうね」と言うと、「大丈夫。ご飯持ってきてるもん」「ご飯だけ。Noj mov ntxuav dej xwb(水をおおかずにご飯だ)」と言うので、私は一つ魚の缶詰を買ってきて、それを渡した。「これは、あんたたちで食べなね」と渡した。

 私が、持っていた家族の写真を見せるとショオとダイが奪い合うように、1枚づつ取ってしまった。写真を見ていると、ラオの人たちも寄ってきてのぞき込む。

 私も楽しかったのだが、みんなもきっと楽しかったんじゃないかな。ちょっとした遠足。「私一人で車待ってるから、先に戻ってもいいよ」と言っても、「パヌンを送ってから行く」と、一緒に車を待っていてくれた。しばらくすると、ルアンパバンからのバスがやってきた。私が乗り込むと、みんな手を振ってくれた。この山下りだけの小旅行は、ちょっと面白かった。

 

 



8月16日(月) サムヌアから戻る

 今日、サムヌアから戻ってきた。行くのさえ、言っていなかったが、11日にビエンチャン発で行った。サムヌアはラオスの東北の端の県だ。Y12というよく落ちるという噂の小型機しか飛んでいない。今日は、それに乗って戻ってきた。座席17席。そのうち3席は病人やけが人が出た時のために、直前まで空けてある。今日はその3席のうちの一つのなんとか入れてもらって戻ってくることができた。ほっ。今日、乗れなかったら、バスで帰ろうかと思っていたが、バスだと1日以上かかるそうで・・・・・途中の切り立ったグネグネ道を見ると、飛行機もバスも、まぁ、安心度は五分五分・・・のような気がする。ただ、時間が少ないだけ、飛行機は楽だ。当然値段も高いが・・・・

 サムヌアでは、おなじみのモンの村があるのだが、村での日々は、日にちを遡って、おいおい書きたいと思う。今回、珍しく、お腹が痛くなった。鉄の胃!を誇っていた私としては、情けない出来事だが・・・どうも思うに、原因は・・・・・今の季節、モンの村には、ほとんど、食べ物がない。オカズがないのである。雨季にはあまり野菜ができないのだという。(作らないというだけの話かもしれないが・・)私たち(私と、いつも一緒に行動している、ラオス文化研究所のソムトンさん)は、村へのおみやげ?として、ラーメンを2箱、買って行った。食べ物が何もないと、泊めてもらう家も悪がるからである。もちろん卵だの野菜だの買って行けばいいが、日持ちもしないし、運搬にも面倒くさいので、タイ製のラーメンを買って行った。きっと、ラーメンの中でも安くて質が悪い奴だと思うけど・・・・結局、今の季節、飯があればいいくらいで(お米もすでに食べきってしまって、ない家がある。トウモロコシを混ぜたご飯を食べている)、野菜もたいしてなくて、毎日、ラーメンをおかずに飯を食うはめになった。2度ほど、鶏をつぶしてくれたが、それも申し訳ないことであった。そして、もう一つは、ペングア(味の素。タイ製?ラオス語では牛の粉と呼ぶ)をいれた野菜のスープである。モンの人も、このペングアを入れないとおいしくない・・・・と思っている節がある。入れなくてもいいのに・・・・今回滞在したのは3日くらいのものだが、これを食べ続けたら、動悸がし始めた・・・・ので、イケナイナと思って、少ししか食べなかった。するとモンの人々が「こんなまずいもので・・・」と言って悪がるので、やっぱり食べたが・・・・インスタントラーメンやらペングアやらを食べ続けると、きっとろくな事はない・・・と思った。そして、山の奥のモンの村とはいえ、自然食を食べているとは言い難い、このごろなのである。

そして、もう一つは、トイレがない・・・・から、水を控える・・・ので、新陳代謝が悪くなるのだろう。トイレがないけど、仕方ないから、こそこそ・・・と、岩陰に行くと、もう豚ちゃんが、来るのである。「おまえ!小だけだぞ!」と言って、小枝をピシピシとならしても、豚はしっぽをピコピコ振って近づいてくる。まったく、落ち着けないのである。ということで、普段、家にいたら、お茶をガバガバと飲む私が、あまり水を飲まない・・・などなどが重なるのだろう。村から降りたら、珍しく、お腹をこわして、胃が痛くなってそして食欲をなくした。珍しい!!!!今朝も、朝からほんの少ししか食べずにいたが、やっぱりビエンチャンに戻ってきたら、食欲は戻ってきた。現金なモノである。明日はビールを飲んでやる。


日記の頭に戻る
はじめのページに戻る


8月21日(土) 二日酔いなのに・・・忙しい土曜日 

 昨晩、酒飲みのお友達たちが来て、2時過ぎまでうちで飲んだ・・・のに、朝5時には起きた。頭も重いのにハードな一日になりそうだ。

 6時には、ミーから電話がかかってくる。「タラードサーオ(朝市)のバス停に着いたよ」と。ミーはシヴィライ村のモンの女の子で、村で唯一、高校から看護学校に進んで勉強を続けている女の子だ。学校が遠く離れた(バスで8時間くらいはかかる)サバナケートにある。学校が1週間休みになって、やっと家に帰省するのだ。昨日、酒飲み連中と(私ももちろん、連中に含まれます)飲んでいる最中に電話がかかってきて、「明日ビエンチャンに着くから迎えに来て」と言う。私はてっきり、「まったく、一人でビエンチャンに出てくるのも怖いのかな」と思って、「じゃあ、行くよ」と答えた手前、朝5時に目覚ましをかけたのだ。

ジャンボー(トゥクトゥク・・・バイクタクシー、ラオスではジャンボーと呼ぶ)に乗り「これまでだって、何度も一人で帰省してるのに、なんで、今回私が迎えにいくのかな?一人で村までのバスにだって乗れそうなもんじゃないか」と思う。朝、6時。道には托鉢のお坊さんたちが歩いている。朝早いと、いつもと光景が違う。

バス停には、ミーと同じ方向に帰省する友達たち、4人がいた。「なぁーんだ、そうだよね。私が迎えに来る必要なんかないけど、ただ、呼び出されただけなんだ」。ミーだって、家を離れて寄宿生活をはじめて1年になるのに、未だに子どものつもりでいる私の方が違ったのだ。私は、「なんで、こんな時に朝っぱらから呼び出されるわけ」と思いながらも、はじめの頃は親元を離れて寂しい寂しいと言っていた彼女が、なんとかしっかり勉強をしていて、元気そうでほっとした。彼らが乗り継ぐバスの時間まで、30分ほどおしゃべりして帰る。

 家に帰ってから、パンを砕いてパン粉を作りコロッケを揚げる。これは、今日の健一郎君の誕生日用。かぼちゃサラダとコロッケを作った。「3時間しか寝てないで二日酔いの私が、なんでこんなことしてるんだ?」と思いながら、パンをちぎってパン粉を作っている・・・・・今日、お昼の仕事が終わったら、みんなでサプライズパーティをすると、店で女の子たちが準備している。

 店・・・今、ビエンチャンにあるレストラン、Just for Funという店に、少しだけ関わっている。少しだけオーナーなんだけど・・・でも、私は本当にjust for funという感じで、何もできないので申し訳ないとは思いつつ、あまり手伝いにもならないけど、たまに顔を出している。

 この店自体は、10年以上前にラオスで働くNGOの人たちが、「みんなが集まれる場所があったら」というようなことで、出資しあって店を作った。その中心的な存在で店を切り盛りしていたタイ人のジムさんは、本当に大姉御のような存在で、私もよく店に行っていた。ジムさんのご主人は日本人で、私が前に働いていたNGO、SVAに勤めているが、小野さんが日本勤めになったのを機に、他の人に店を任せて、ラオスを離れた。この春、その2番目の人が出産を機に店の権利を売ることになった。それを買うことにしたのが、某健一郎くんであり、彼も以前、大学院生の時にラオスに滞在していた人なのだが、健一郎くんは、せっかく就職した、魚の缶詰で有名な某会社をやめ、ラオスに移り住むことにした。それで、「清子さんもちょっと出資しない?」というので、私も、おもしろ半分にちょっとだけ、爪の先ほどですが、出資して加わることになった。ジムさんも再び一緒に3人が出し合っているが、常駐で経営しているのは健一郎くんである。私は、その店の裏に住んでいたことがあり、この店が、他の全然知らない人の手に渡ってしまうのはつまらないなぁ・・・という思いや、よく知っているモンの村のハンディクラフトを店に置いてもらっていることもあり・・・そんなことから、関わったら楽しいかも・・・というくらいなので、毎日、そこで働いている人と違って、「たまに顔を出す」だけなので申し訳ない。

 昨日は、お昼貸し切りで、21人の日本人のお客様だった。知り合いの人なので、私も手伝いに行ったが、「すいません、今日初めてなんです」と言いつつ、ウェイトレスを手伝ったり、「私が入れて大丈夫かな?」と思いつつ、コーヒーを入れたり、「安井さん計算できる?」とからかわれながら、計算をしたりした。こういうのは、ホントできないんです私。食事は、春巻き、パッタイ(タイの焼きそば)、ゲンキアオワーン(グリーンカレー)、ラオスの花の天ぷら、カイチアオ(オムレツ)、サラダ・・・デザートにアイスクリームと果物。これで一人5ドルくらいなんだから安い。みなさん、Just for Funどうぞよろしくお願いします。

 お客様が帰った後、店の女の子たちは目配せをしながらも、誕生日のことは誰も言い出さない。2階では、手作りのケーキ(Just for Funのチーズケーキと、チョコレートケーキは絶品と評判)に、お誕生日用の文字を書いていたり、コロッケを揚げたりしているので、健ちゃんが上ろうとすると、誰かが一生懸命引き留めている。すっかり片づいた店で、なんだか憮然として手持ちぶさたの健ちゃんと、「早く持ってこないかなぁ」と手持ちぶさたにそわそわしながらいると、29本(若くていいなぁ)ろうそくが立ったケーキを持って女の子たちが入ってきた。ご本人は、ちょっと照れくさそうな顔をして、頭をかいた。

 チョコレートケーキと、コロッケとかぼちゃサラダと、そしてビール(ラオスの場合は一つのコップで少しずつついでは回し飲みする)・・・という、へんてこな取り合わせのバースディパーティだが、店の女の子(といってももう立派な女性ですが)の、ノーイとホームは、ビールを飲んですっかりはしゃいでいる。「もう一本いく?」と聞くと、嬉しそうに照れて笑いながらも「うん」と言う。二人ともビールを飲むのは、お正月以来(ラオスの正月は4月なので)4ヶ月ぶりだそうだ。お正月には3ダース飲んだとか・・・きっと、なんだか嬉しくて仕方がないんだろう。とってもキャラキャラと笑って、真っ赤な顔をしていた。

 私はその後、モンの仕事仲間のソムトンさんの、息子と娘のためのパーティ(二人ともベトナムに留学するので、そのために、バーシー(ラオスの儀式で、安全や健康を祈って行う儀式)をやって、ごちそうを食べるのだ・・・・にも呼ばれていた。さすがに、3時間睡眠で二日酔い、で、慣れないウェートレスもやり、疲れていたのだが、行かないわけにはいかないので、行ったが、ソムトンさんはモン族で、奥さんはベトナム人・・・だが、ラオ式のバーシーであった。インターナショナルというか、インターカルチュラル?だなぁ・・・でも、ご近所はみんなラオ人で、子どもたちはラオス文化の中で育ってるんだものねぇ・・・と思う。帰ったらさすがに疲れていて、即、寝てしまった。


8月22日(日)   日曜日の静寂?

 日曜の朝、静かな朝のひとときを、うんとカオサイに邪魔される。今、うちには、元協力隊で助産婦さんの嶋澤さんが泊まっているが、嶋澤さんはやさしいので、カオサイは嶋澤さんにもなついている。嶋澤さんと二人でいる時は、彼女にさんざん、私が話してやった絵本をお話してあげるそうだが、私には絶対に話してくれない。私は話す一方。

 さて、今日は、私がパソコンを打ち、嶋澤さんは本を読んでいるのに、カオサイは一人で大騒ぎをして奇声をあげ続けている。いい加減にしてくれ・・・・確かに、どうも家では離れた兄や姉には本気では相手をしてもらえず、お母さんも下の子に手がかかっていて、本気で相手にしてもらえず、そして、怒られるか無視されるかのどっちかで、だからうちにくると、やさしい我慢強い、オネーサン!が二人もいるんだから、カオサイはうちに来たくて仕方がない。でも、一日中いてもらっては困るのだ。しかも、朝から・・・・

 嶋澤さんにさんざん遊んでもらったあげく、私も6〜7冊も絵本を読み、(カオサイは、嶋澤さんと一緒に聞きたくて仕方なかったらしい。面白い場面にくると、嶋澤さんの方を見て、「ほらね」という顔をする・・・・そんな顔を見るとこちらも嬉しいが・・・)。もうそろそろ帰ってくれ・・・と思うのに、まだまだしたい放題で、相手にされないと奇声を発する。彼の気持ちもわかるし、相手にしてやんなきゃいけないのもわかるが・・・・

 いったん家に帰ったはいいが、また木の枝を持って入ってきて、家の中で振り回している。私が仕事をしているのをわかっていながらも、木の枝を振り回してきて、それがパソコンに当たった。さすがに、私は頭に来て、カオサイの枝を取り上げると尻を叩いて、カオサイを外に連れ出すと言った。カオサイは、びっくりしている。

「カオサイ、あんた、やっていいことと悪いことと、わからなくちゃダメだよ。触っていいものと、触っていけないものもあるんだよ。それも、ちゃんとわからなくちゃダメだよ。わかる?清子の仕事で大切なものに、触ってもらったら困るの。いつも、仕事しているときにうるさくしてもらっても困るの。わかる?お話はしてあげるよ。遊びに来てもいいよ。でも、やっちゃいけないことを、やっちゃいけないの。わかる?」と、私はいささか言葉につまりながらも怒鳴ると、彼は、ウンウンと神妙な顔をして頷いて家へおとなしく帰って行った。それで、あれから数時間たつがまだ来ない。

 うちに静寂が訪れている。

 カオサイくんには、真剣に相手をして真剣に遊んであげる人(本当は遊べる年なのに、友達がいない)が必要なのはわかるが、こっちだって年中相手してあげられるわけでもなく・・・・・これくらいで勘弁してくれ・・と。でも、子どもを育てるって大変なんだろうなぁ・・・とつくづく感じる。

 何故か、日記にカオサイのことばかり登場する。

 自分ではじめておきながら、やはり日記形式は、私にはなかなか継続しにくいなぁ・・と思っている。ビエンチャンにいる時にしかパソコンは打たないので、地方の話題はたまってしまって、なかなか書けないし・・・でも、今、思い切ってホームぺージを変革するだけの手間暇をかける時間がないので、まぁ、このまま手抜きのままでいくしかないも・・・

 時間を遡って、サムヌアの村のこととか、書こうと思ったけれど、なかなか、まとまった形で書けない。ウェブサイトに書くとなると、自分の一人用メモとして書くのとは訳が違うからである。ということで、きっと、今回の滞在中もあまり大した更新せずに終わるのかも。

 今日も曇り。雨の降りそうな日曜日。

→日記の頭に戻る
→はじめのページに戻る



8月24日(火)明日から中国に行きます

 いきなりですが・・・明日から、中国に行きます。明日、早朝、ラオス航空で昆明に飛んで、それから、四川省へ行きます・・・のつもりです。お友達が、東チベット地域で、小学校建設の仕事をしているので、ちょこっと寄ってみようかなぁ・・・と言うにはものすごい距離なので、はたして、たどり着けるのかなぁ、私・・・って感じですが、それから、ラオスにまた帰ってきます。・・・・と、はてさて、どうなることかぁ〜〜〜〜〜ですが。2週間くらい音信不通になりますが、どうぞよろしくお願いします。


→日記の頭に戻る

→はじめのページに戻る